紀伊田辺は古くから紀伊半島西岸きっての良港として発展し、中世には熊野水軍の拠点であったり、江戸時代には和歌山や大阪、徳島、備前を結ぶ重要な港町でした。

また、平安期から始まった熊野三山への参詣路である熊野街道は、この田辺から海岸沿いを通って新宮に至る大辺路と山中を抜ける中辺路に分岐し口熊野と呼ばれていました。

田辺城跡から上屋敷、中屋敷町、下屋敷町を歩いてみました。

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廃藩置県後は田辺城を含めた一帯が上屋敷となり、武家町は中屋敷町・下屋敷町・新屋敷町となりました。田辺城跡には商店や旅館が建ち並び、内濠が埋め立てられて大浜通り・浜通りとなり繁華街に、新屋敷町は官庁街となっています。