江戸時代の漆器家で、第二次大戦後は家具問屋・松屋が営業していました。戦時中、与良町に疎開していた高濱虚子は「小諸雑記」の中で「松屋は客に対してとてもいい感じの店である」と書いています。

小諸市の施設として昔の建物の姿に修復され、敷地全体は「小諸高濱虚子記念公園」、主屋は「北国街道与良館」として、交流やまちづくりの拠点となっています。

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主屋の奥にある蔵は、江戸時代に小諸城の西側にあった銭蔵です。銭蔵は小諸藩の金庫だったので、千両箱を隠していたという石の蓋のついた秘密の地下室があります。
また、敷地の一番奥の小屋は、昭和21年頃につくられた虚子の仕事場「排小屋」を修復したものです。この頃、虚子の主幹していた俳句雑誌「ホトトギス」600号祈念句会が小諸で催されました。
与良町の昔の家はどこも、奥に長く傾斜したゆとりある敷地に主屋、中庭、蔵、離れの順で建物が並び、その周囲には田園風景が広がっています。

この施設は、与良町の伝統的な町屋の形をよく伝え、与良は水の豊かなところなので敷地に水路のある家もあり、高濱虚子は多くの俳句を残しています。虚子の歩いた路は「虚子の散歩道」として保全が進められています。