知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

与謝野晶子

与謝野晶子(宇治その5)

   【さわらび】
       さわらびの歌を法師す君に
           良き言葉をば知らぬめでたさ   与謝野晶子       

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与謝野晶子(宇治その4)

   【宿り木】
       あふけなく大御女をいにしへの
               人に似よとも思ひけるかな   与謝野晶子


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与謝野晶子(宇治その3)

   【総角】
       こころをば火の思ひもて焼かましと
                  願ひき身をば煙にぞする   与謝野晶子


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与謝野晶子(宇治その2)

   【椎が木】
       朝の月涙の如し真白けれ
             御寺のかねの水わたる時     与謝野晶子

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与謝野晶子(宇治その1)

   【橋姫】
       しめやかに心の濡れぬ川ぎりの
            立舞ふ家はあわれなるかな       与謝野晶子

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与謝野晶子

       かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は
                美男におはす夏木立かな    与謝野晶子

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与謝野晶子歌碑

       ふるさとの 潮の遠音のわが胸に
               ひびくをおぼゆ 初夏の雲

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与謝野晶子は、近代文学・古典現代語訳・社会評論・教育など多方面で時代を切り拓きました。

与謝野晶子

与謝野晶子(明治11年〜昭和17年)が夫となる与謝野寛(明治6年〜昭和10年)と初めて会ったのは明治33年8月のことでした。
二人は生涯の伴侶として、日本近代詩歌の黄金期を形成しました。

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この文学碑に刻まれた昌子と貫の文章は、ともに貫の誕生満60歳にあたる昭和8年に書かれたものです。
たがいに詩人としての文学的資質を認め、全幅の信頼を寄せ合っていました。

与謝野晶子歌碑

       すべて眠りし女 今ぞ目覚めて動くなる

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「山の動く日きたる」という詩の一節です。


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明日16日〜22日まで入院します。
ブログ更新も訪問も出来ません、帰り次第訪問致します。

与謝野晶子歌碑

       地はひとつ 大白蓮の花と見ぬ
             雪の中より 日ののぼるとき

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与謝野晶子は、生涯に短歌5万首を詠んだとされます。
与謝野晶子の、女性の自由と自立をめざした評論活動や、「君死にたまふことなかれ」の詩に書かれたことは、現代では誰でも納得するきわめて当然の内容です。しかし、晶子の生きた時代には、理解されない場合が多く、数々の非難中傷を受けました。

        あゝをとうとよ 君を泣く
        君死にたまふことなかれ、
        末に生れし君なれば
        親のなさけはまさりしも
        親は刃をにぎらせて
        人を殺せとをしへしや、
        人を殺して死ねよとて
        二十四までをそだてしや

この詩は日露戦争に従軍した晶子の弟への思いを詠んだもので、時代を超えて人々の心を打つ作品ですが、明治38年の発表当時は、
「国家観念を藐視したる危険なる思想の発現なり」と非難されましたが、晶子は「当節のやうに死ねよ死ねよと申候事、又なに事にも忠君愛国などの文字や畏おほき教育勅語等を引きて論ずる事の流行は、この方却て危険と申すものに候はずや――」と反論しました。
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