この碑は終戦時、樺太の真岡(現・ホルムスク)郵便局で通信業務を死守しようとした9人の女性の慰霊のために建てられてものです。北緯50度線でソ連と国境に接していた樺太では1945年8月、ソ連軍の不意の攻撃を受け40年間に渡る国境の静寂が破られました。
島民の緊急疎開が開始される中、戦火は真岡の町にも広がり窓越しに見る砲弾の炸裂、刻々と迫る身の危険のなか、真岡郵便局の電話交換手は最後まで交換台に向かいましたが『皆さんこれが最後ですさようなら、さようなら・・・』の言葉を残し、青酸カリを飲み自らの命を絶ちました。終戦5日後、8月20日のことでした。
島民の緊急疎開が開始される中、戦火は真岡の町にも広がり窓越しに見る砲弾の炸裂、刻々と迫る身の危険のなか、真岡郵便局の電話交換手は最後まで交換台に向かいましたが『皆さんこれが最後ですさようなら、さようなら・・・』の言葉を残し、青酸カリを飲み自らの命を絶ちました。終戦5日後、8月20日のことでした。