二の丸北虎口
上田城二の丸にあった3箇所の虎口のうち、東・北虎口のみ石垣が残っています。主な石材は本丸の石垣と同じ緑色凝灰岩です。現在北虎口にある石垣2基は復元整備したものですが北側の石垣の西端は建造当初のものです。

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百間堀の樋
現在の陸上競技場や児童遊園地は、江戸時代には大きな堀でした。この付近はもとのと矢出沢川が流れていましたが大工事をして城の北方に流れを変え、旧川底を広げて川を造ったと考えられ、その広大な規模から百間堀と呼ばれました。

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二の丸北虎口の土橋には東側から西側の堀へ水を通すために木で作った樋が埋めてありました。地中に埋めた木製の樋は腐ったりして改修が必要だったと考えられます。
陸上競技場の門の付近に残る石垣には、切石を組み合わせた樋の出口を見ることができます。これは元禄15年(1702)に木樋から石の樋に変えたものと考えられています。当時、幕府に提出した修復願いには「木樋が腐って壊れてしまったので石の樋に変えたい」と書かれています。