二宮尊徳(1787〜1856)
   経済なき道徳は戯言であり 道徳なき経済は犯罪である
江戸時代後期の農政家・思想家で通称金治郎、尊徳は武士の名乗り。

(これと同じ像は、全国の小学校などに向けて約一千体、製作されたが戦時中すべて供出に遇い現在残っているのはこの一体だけ、この像は当時のメートル法普及の意図を反映して1メートルの高さに製作されている)

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幼少期の逸話が一般に知られているが、後に「報徳仕法」と呼ばれる独自の方法と理念で小田原藩や日光神領などを含む、多くの諸家所領の復興に尽くした。直接・間接的に指導した農村は600余りにのぼる。

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内村鑑三著「代表的日本人」の中でも、19世紀末、欧米諸国に対して「日本人の中にも、これほど素晴らしい人物がいる」と苦難の時代を救った偉人として尊徳が紹介されるなど、明治時代以降の政財界人にも多くの影響を与えたのである。