知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

井上通泰

学問成就の道

辻川山展望台から

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     初恋の 君と初めて 語らいし
       かの家なくて 夏草繁りぬ       岸上大作


福崎町井ノ口に生まれる。6歳の時、父繁一戦病死し、苦労して一家を支える母まさゑの姿を見て育つ。県立福崎高等学校時代に文学部に入部して短歌にめざめ各誌に投稿を開始する。「文学圏」「まひる野」に入会。國學院大學では短歌研究会に所属し、仲間とともに「汎」「貝象」を創刊。60年安保闘争に参加する学生としての高揚とためらいを詠んだ「意思表示」が短歌研究会新人賞に推薦され、若き天才歌人として注目を浴びるが、21歳の若さで帰らぬ人となる。

     意思表示 せまり声なき こえを背に ただ掌の中に マッチ擦るのみ

     かがまりて こんろに赤き 火をおこす 母とふたりの 夢つくるため



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     うぶすなの 森のやまもも 高麗犬は 懐かしきかな もの言わねども     柳田國男

     うぶすなの 社のやまもも ふる里は はかなきことも 恋しかりけり       井上通泰


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柳田國男は子供の頃、ヤマモモの木に登って実を食べようとしましたが、他の子供達が先に取ってしまって一度も見たことがなかったと著書「孤猿随筆」に書き記しています。

柳田國男生家

JR福崎駅

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柳田國男は、明治8年に生まれ幼時10年間をここで過ごした。
彼はこの家を「日本一小さい家」といい、それ故におこった家族の不幸から「故郷70年」の中で「この家の小ささという運命から私の民俗学への志も源を発したといってよい」と語っている。

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平面構成は4帖半2間と3帖2間の整形四間取り、田の字型である。

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言語学者の松岡静雄(7男)、日本画壇の巨匠松岡映丘(8男)、長男の松岡鼎、3男の歌人で国文学者の井上通泰もこの家で育ったのです。

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『遠野物語』より抜粋
「川には河童多く住めり。猿ヶ石川ことに多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて河童の子を孕みたる者あり。生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きわめて醜怪なるものなりき。・・・  ・・・  ・・・  ・・・  ・・・ 
 
或る者のいうには、馬槽に水をたたえその中に産まば安く産まるべしとのことにて、これを試みたれば果してその通りなりき。その子は手に水掻あり。この娘の母もまたかつて河童の子を産みしことありという。二代や三代の因縁にはあらずという者もあり。この家も如法の豪家にて何の某という士族なり。村会議員をしたることもあり。・・・  ・・・  ・・・  ・・・  ・・・ 

上郷村の何某の家にても河童らしき物の子を産みたることあり。確かなる証とてはなけれど、身内真赤にして口大きく、まことにいやな子なりき。忌まわしければ棄てんとてこれを携えて道ちがえに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思い直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立ち帰るたるに早取り隠されて見えざりきという。
※ (道ちがえは、道の二つに別るるところすなわち追分なり。)  ・・・  ・・・  ・・・  ・・・ ・・・

小鳥瀬川の姥子淵の辺に、新家の家という家あり。ある日淵へ馬を冷やしに行き、馬曳の子は外へ遊びに行きし間に、河童出でてその馬を引き込まんとし、かえりて馬に引きずられて厩の前に来たり、馬槽に覆われてありき。家のもの馬槽の伏せてあるを怪しみ少しあけて見れば河童の手出でたり。村中のもの集まりて殺さんか宥さんかと評議せしが、結局今後は村中の馬に悪戯をせぬという堅き約束をさせて放したり。その河童今は村を去りて相沢の滝の淵に住めりという。
※ (この話などは類型全国に充満せり。いやしくも河童のおるという国には必ずこの話あり。何の故にか。)

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