井澤宜庵(いざわぎあん)は文政六年(1823)に紀伊国伊都郡に生まれ、医者をしていた(現在の五條小学校あたりで)。天誅組には軍医として参加し、高取城攻めで負傷した吉村寅太郎の手当てもした。

丁寧な治療により大将の中山忠光から褒美として刀を贈られたという。

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天誅組は尊皇の志が厚い十津川に立てこもり、そこで兵を集めてなおも抵抗を続けたが、天誅組が反乱軍となった事実が十津川郷士に知れると、彼らも離反して勢力は日に日に弱まり、吉野郡鷲家口(現在の東吉野村)でほとんど全滅した。

天誅組の変は生野の変とともに尊皇攘夷派によって試みられた最初の反幕府武装蜂起であった。