京極丸跡
京極氏の屋敷があったと伝えられている、大広間に次ぐ広大な曲輪である。
前面に馬出のように曲輪を配置し、東側に高さ3メートルの土塁を設けその下に四段の曲輪を配置する。清水谷側斜面にも広い曲輪を設けている。

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小丸跡
二代城主久政が引退した後に居住したところと考えられている。天正元年(1573)八月に京極丸より羽柴秀吉に攻められ、鶴松太夫の介錯により自刀した曲輪と伝えられる。

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山王丸跡
山王丸は四段からなり最頂部に三王権現が祀られていた。高さ5メートルの比較的大きな石により石垣が築かれ枡形の虎口が考えられ規模は本丸を上回る。小谷城絵図には山王丸から清水谷に向けて搦め手道が描かれている。

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六坊跡にも行きたかったが尾根を下がった所にあるため熊の出没も考え引き返すことにした。
桜馬場跡あたりまで下ると鈴の音が聞こえた、風のない日は遠くからでも鈴の音が響き聞こえる。