知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

伊勢

賓日館 (その参)

 大広間

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 寿の間

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 帳場
帳場には正面の机を取り囲むように格子になった枠(帳場格子)が置かれている。これは結界と呼ばれ帳簿付け等の仕事をする仕切りとして使用され、また、盗難防止の役目も兼ねていた。

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 庭園

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また、中庭を囲むように各部屋が配置されている。

賓日館 (その弐)

御殿の間

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本間天井は珍しい二重格天井になっている。格天井とは、格式を尊ぶ部屋に用いる天井形式で2〜2.5寸角の断面の格縁と呼ばれる部材で格子を作り、格子の間(格間)に正方形の板を張った天井をいう。

格子を二重にしたのは、皇室を迎えるに当たり格式を重んじる格天井より一層の格式を持たせることを意図したものと云われる。

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賓日館(ひんじつかん)

伊勢二見浦にある賓日館は、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として明治20年に建設されました。
明治天皇の母である英照皇太后の御宿泊に間に合うようにと明治19年12月に着工、翌年2月19日に竣工、これほど短期間で格調高い建物が完成したのは驚異といえる。

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玄関内側から、

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左の部屋が千鳥の間、

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この部屋は御殿の間と襖で仕切られていただけで、御殿の間に賓客が宿泊されるときお供の者や護衛の者の控え室であったと思われる。

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門の向こうは二見浦、
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伊勢河崎 商人館(小川酒店)−その弐


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川に面して蔵があり、道路を隔てて商店・住宅に続き内蔵を持つ河崎の代表的な建物

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どこか懐かしい昔ながらの風情が感じられる

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伊勢河崎 商人館(小川酒店)−その壱

正面玄関(江戸時代から酒問屋を営んでいた小川商店

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江戸・明治時代に建築された蔵7棟、町屋2棟など、延べ面積1000屬両Σ

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大正13年建築の洋館応接間

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母屋

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伊勢河崎町並み(その弐)

東国と西国の多くの人が往来するターミナル的な商業都市でもあり、戦国時代末期には既に物流と金融の中心地域でした。江戸時代には山田奉行より伊勢神宮周辺地域の米と魚の卸売り専売権を認められ、名実共に「伊勢の台所」として全国に知られた商人町となりました。

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伊勢河崎町並み(その壱)

16世紀頃から伊勢神宮門前町の山田・宇治への物資を運ぶために勢田川を利用した水上輸送と物資を荷揚げして人馬で物資を送る陸上輸送を仲介する川の港として賑わった河崎、

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伊勢河崎

河崎は勢田川の水運を利用して、戦国時代初期から町としての機能を整え安土桃山時代に伊勢神宮周辺の経済の中心として位置づけられ、江戸時代には大きな問屋街へと発展し、おかげ参りに代表される参宮客で賑わう宇治・山田に大量の生活物資を供給する伊勢の台所としての役割を果たしていました。

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伊勢亀山城跡


 伊勢亀山城は1265年若山に関実忠が最初に築城し1573年織田信長により関盛信が追放されるまで
 関氏16代の居城であった。

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 城主は八家がめまぐるしく入れ替わったが、1744年石川総慶が城主となると以後は石川家十一代で
 明治維新を迎える。

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 1641年に当時の城主本多俊次が天守閣の代わりとして築いた亀山城で唯一の三重櫓、

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