初代出雲藩主堀尾吉晴が1607年から1611年にかけて松江城築城の際に城地の亀田山と北側の赤山の中間にあった宇賀山を掘削して、内堀と平行する道路および侍屋敷を造成した。

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この道路が塩見縄手と呼ばれる。縄手とは縄のように一筋にのびた道路のことをいい、二百石から六百石程度の中級武士の屋敷が並んでいた。

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この武家屋敷に一時住んでいた塩見小兵衛がのちに異例の栄進をしたため、それをたたえて塩見縄手と呼ぶようになった。

松江市伝統美観保存地区に指定され、昭和62年には建設省「日本の道100撰」に選ばれる。