知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

伽藍

高野の伽藍(その九)


 金堂

高野山開創当時は講堂と呼ばれ、平安時代半ばから高野山の総本堂として重要な役割を果たし、現在の建物は7度目の再建で、1932年に完成、梁間23.8メートル、桁行30メートル、高さ23.73メートル、入母屋造り

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 大塔

816年から887年ごろに完成したと伝えられ、この大塔を真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立され、根本大塔と呼ばれ、多宝塔様式としては日本最初のものといわれている。

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高野の伽藍(その八)

 不動堂
1197年、鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王が発願し、行勝上人によって建立された。もともと一心院谷に建てられていたが、後世になって伽藍へ移築された。
現在の建物は14世紀前半に再建されたもの、

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 愛染堂
1334年、後醍醐天皇の綸命によって四海静平、玉体安穏を祈るために建立された。
現在の建物は1848年に再建されたもの、

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高野の伽藍(その七)


1848年に再建された五間四面のお堂で、長日不断談義の学堂として壇場に移し蓮華乗院と称したが現在では法会執行の際の集会所的役割を担っている。

 大会堂

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 六時の鐘

福島正則公が父母の追福菩提を祈って1618年に建立した、午前6時より午後10時まで偶数時に時刻を知らせている。

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高野の伽藍(その六)

三昧堂  1848年再建

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済高座主(870年〜942年)が929年に建立されたお堂で、もともと総持院境内にあったが、済高師はこのお堂で「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、三昧堂と呼ばれるようになった。

高野の伽藍(その五)

金輪塔
二間半四面の宝塔 1046年以後1108年以前 現在の塔は1834年に再建

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高野の伽藍(その四)


高野山の不動口にあるこの女人堂は一千年余りにわたり女人禁制であった。
七つの入口にそれぞれ建っていた女人堂の唯一残っている建造物である。

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女性はここから先、山内に入ることが許されなかった。

高野の伽藍(その参)


 西塔(887年建立)

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高野の伽藍(その弐)


金剛峯寺本坊

正門(1593年再建)
昔はこの門を出入りできるのは、天皇・皇族・高野山の重職に限られていた、一般の僧侶は門の右にある「くぐり戸」を使用していた。

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本坊(重要文化財)
東西(約60メートル)、南北(約70メートル)の主殿をはじめ、座主居間、奥殿、別殿、新別殿、書院、新書院、経蔵、鐘楼、真然堂、護摩堂、阿字観道場、茶室等の建物を備え、寺内には狩野派の襖絵や石庭などが設けられ、境内総坪数48295坪と広大な本坊である。

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高野の伽藍(その壱) 


 電車に乗って高野山へ、

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 高野山駅

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 高野山金剛峯寺御影堂

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 昼過ぎから小雨になり、やがて粉雪となった。
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