信楽高原鉄道は、戦争や災害、国鉄再建、大事故などで廃線の危機に何度も直面した。しかしその都度復活を遂げた沿線住民の熱い思いがあった。

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住民らは「鉄道をなくしたくない」と戦後、近くの森から枕木材を切り出して敷設、不採算状態が続いて、何度も危機を迎えたが、その都度住民らが存続に向けた運動を続けた。
61年4月にもバスへの転換が促される「特定地方交通線」に選定されたが、今度は地元沿線自治体が乗り出し出資して第三セクター「信楽高原鉄道」を62年2月に設立した。

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大きな声が聞こえた。私の前に座っていた女性が何があったのか尋ねた、すると、
後ろの座席で、靴のまま席に足を上げていた学生に職員が叱ったという。