知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

備中松山城下町

城下町小路

菊屋小路
江戸時代末期に醤油屋を営んでいた商家の屋号が菊屋だったことから隣接する小路に菊屋の名前を冠して呼んでいました。

菊屋小路

阿蘇屋小路
同じく、小間物屋を営んでいた商家の屋号が阿蘇屋だったことから阿蘇屋小路と呼ばれていました。

阿蘇屋小路

蔦屋小路
同じく、肴屋を営んでいた商家の屋号が蔦屋だったことから蔦屋小路と呼ばれていました。

蔦屋小路

その他に、本町、下町、南町には、佐福屋小路、近江屋小路、柿屋小路、お亀小路、鍵屋小路、いなり小路、風呂屋小路、夷小路がある。


備中高梁松山おどり
岡山県三大踊りとして、毎年8月14日から3日にわたって高梁の街を踊り一色で塗りつぶす松山踊りは、遠く慶安元年(1648)、時の松山藩主水谷勝隆が五穀豊穣を祈ると共に城下の繁栄を祝ったことが始まりと伝えられているようです。
その盛大さは県下最大規模と言われています。

 備中高梁 松山踊り <ヨーイ ショ> 月の絵になる お城の矢場で ちょいと小粋な姉さん冠りかけたたすきは夜目にも紅い 

備中松山城下町

鎌倉時代から続く歴史と伝統の備中松山城下の町並みをのんびり散策、

慶長10年代(1605〜1614)に小堀正次、政一(遠州)親子が備中国奉行(備中代官)として着任してから、備中松山城の修築と備中国特産物の生産、集荷及び家臣団の需要に対して、家中屋敷(武家屋敷)の西、松山川(高梁川)に沿って城下町づくり(町屋)に着手したのが本町の誕生でした。

-

-

-

-

-

-

-

高梁の町屋の形態は、間口が狭く奥行きの長い短冊形の敷地に建ち、その敷地の道路側に主屋が設けられ、その背後に炊事場・風呂・便所・土蔵などの付属屋が連なっていく形式です。

この形式は京都の町屋に見られるが、岡山県周辺では高梁のほかに高梁川流域の玉島で見られるだけの珍しい形式となっている。
記事検索
おきてがみ
web拍手
Archives
メール
  • ライブドアブログ