通っていた小学校分校は取り壊されていた。

正門と校庭にあった桜の木は昔のまま残されている。
私は正門から通ったことはない、いつも裏道を通って通学していた。

それにしても、こんなに狭かったのか、もっと広かった印象しかない。校舎は一段上に建っていたのだろうか!
20歳頃だったか見に来たことがあった、たしか保育園になっていた記憶があるが校舎はそのまま使われていた。。
今は地域のゲートボール場のようにも見えた。

分校正門

 〈分校があった正門〉





授業が終わって裏道にさしかかったとき、雪のうえに熊の足跡があるではないか。
しばらく帰れなかったのを記憶している。

担任は女先生で優しい先生だった。中学を卒業してから訪ねたことがあったが津のほうに嫁がれていた。小さい子供さんが2人いたように思う。
大阪から津まで自転車でいった、先生は暖かく迎えてくれた。私は長時間に渡って正座してためにしばらく立つことができなかった。

分校は4年生までが通う、5年生以上は宮前の本校に通うと聞いていた。
月曜日は全生徒が、(と言っても生徒は少ない)音楽室に集められて、してはいけないことなど報告しあうのである。私は喧嘩とみちくさが多かった。月曜日の午前中は勉強をした記憶がない。いつも立たされていた記憶しかない。

アルバムに一枚の記念写真がある。当時の入学写真のようだ。
私は写真機なるものが何をするものか知らなかった。
珍しくて、体を横にして覗き込んでいるではないか。
私だけだった。

走馬燈のように甦ってくるが、もう訪ねることもないとは思いながら分校のあった運動場を後にした。