知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

別所温泉

番所跡

江戸時代上田藩主が別所の温泉に入湯の際、警護の為に設けられた辻番所跡である、大湯の脇に真田氏以来歴代藩主の「お屋敷御殿」と称する保養所があり、明治維新まで250年余続いた。当時の記録によると番所は3ヶ所あったようだ。

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これで別所温泉を後にして上田城跡に向かうことにした。

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北向観音堂

北向観音は、長野県上田市の別所温泉にある天台宗の寺院で近くにある天台宗常楽寺が所有する。

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寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825年)円仁(慈覚大師)によって開創されたといい。安和2年(869年)平維茂によって大伽藍として大改修が行われたが、木曽義仲の兵火により焼失したのち、源頼朝により再興し鎌倉時代の建長4年(1252年)には北条国時(塩田陸奥守、塩田国時)によって再建されたと伝えられる。

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北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来し、これは「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」という観音の誓願によるものといわれ、 また、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうといわれる。

足湯(別所温泉)

この辻を左にゆくと足湯がある。

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足湯「ななくり」 この天気では入る気にはならない。

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湯かけ地蔵

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上田の在の信心深い春蔵が、佐渡に流刑された日蓮聖人を慕って佐渡のとある沼地を通りかかると「春蔵、春蔵」と呼ぶ声が聞こえた。辺りには誰もいない。
「泥にまみれて永いこと此処にいる。一度信濃の湯につかりたい。身を清められたらお前の願いを叶えよう」
春蔵は驚いて沼に入り泥の中から一体の地蔵尊を採り出し、急ぎ信濃に帰り別所の湯に入れた。それからの春蔵は美しい女人と結ばれ子宝にも恵まれて幸せな日々を送ったという。

別所温泉

上田駅で満員状態だったが「大学前駅」で殆どの乗客が降りていった。

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別所駅

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天長2年(825)比叡山延暦寺の円仁が北向観音堂建立にあたり好んで入浴したので大師湯と名付けられたと伝えられる。

大師湯

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昔矢傷を負った雉子が湯あみして傷をいやしたので「雉子湯」と呼んでいたことも、
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