北ノ庄城は柴田勝家が築いた城で九層の天守閣が天高くそびえていたといわれる。その立派な城も天正11年(1583)4月、羽柴秀吉に破れた勝家は、自ら火を放って婦人のお市の方とともに、壮烈な死をとげ消失した。
柴田勝家
夏の夜の夢路はかなきあとの名を
雲井にあげよ山ほととぎす
(夏の夜のように短くはかない私の名をのちの世にまで伝えてくれよ山ほととぎす)
お市の方
さらぬだに うちぬる程も夏の夜の
別れをさそうほととぎすかな
(夏の夜のほととぎすの鳴き声が別れの悲しさをさそっているように聞こえる)
柴田勝家
夏の夜の夢路はかなきあとの名を
雲井にあげよ山ほととぎす
(夏の夜のように短くはかない私の名をのちの世にまで伝えてくれよ山ほととぎす)
お市の方
さらぬだに うちぬる程も夏の夜の
別れをさそうほととぎすかな
(夏の夜のほととぎすの鳴き声が別れの悲しさをさそっているように聞こえる)