知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

千利休

武野紹鷗

武野紹鷗は文亀二年(1502)大和で生まれ、のち堺に移りました。皮屋の号を持つ豪商のひとりです。

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若い頃、京で三条西実隆に和歌を、村田珠光の流れを継ぐ茶人に茶の湯を学び、堺に帰って津田宗及、今井宗久、千利休らに珠光の「わび茶」を伝えました。
宗久を娘婿にして、財産・茶器を譲ったと伝えられています。茶人の北向道陳らと交友し、南宗寺の大林宗套に禅を学びました。

茶室「麟閣」


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およそ400年前、天正十九年我が国茶道の大成者である千利休は豊臣秀吉の怒りに触れ死を命じられた折、
秀吉の怒りが千家一族及ぶのを恐れた会津領主 蒲生氏郷は利休の子、小庵を会津に匿い千家が再興できるように願い出た。

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その結果、秀吉の怒りが解け千家再興が許された。
この蒲生氏郷の恩義に報いるべく小庵が建てた茶室が「麟閣」と伝えられる。

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千家再興が許されたのち、小庵は京都に帰って千家を再興し、宗左、宗室、宗守の三人の孫によって、表、裏、武者小路の三千家が興され茶道の基礎が築かれた。

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