大坂城の大手口を守る重要な隅櫓である千貫櫓は西側と南側は堀に面し、大手門に向かう敵を側面から攻撃することができました。

織田信長が大坂を領していた頃も千貫櫓はありました。名称の由来に関しては、織田信長がこの地にあった石山(大坂)本願寺を攻めた際、一つの隅櫓から横矢に悩まされ、「千貫文の銭を出しても奪い取りたい櫓だ」と兵士達の間で噂されたという逸話が残っているという。

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備考 創建は徳川幕府による大坂城再建工事が開始された元和6年(1620)で、戦後の解体修理の際、墨書で 「元和六年九月十三日御柱立つ」と上棟式の日を記した部材が見つかっています。二の丸北西に現存する乾櫓と同様に大坂城最古の建造物でいずれも工事責任者は小堀遠州である。
豊臣秀吉築城の大坂城にも千貫櫓はありました。