大阪は、富田林の東を流れる石川を挟んで東岸地域の寺内町として中世末に誕生したのが大ケ塚寺内町です。

八朔の寺 顕証寺

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それまでは森屋村が市場として栄えていましたが、大ケ塚の繁栄とともに市場が移りました。
元禄二年(1689)に大ケ塚を訪れた儒学者貝原益軒は「南遊紀行」で「民屋五百廿軒あり」と記録しています。17世紀後半から19世紀にかけて品質の良い河内木綿などの商品を石川、大和川の水運を利用して大坂と結ぶ商業都市として富田林寺内町と共に栄えたといいます。

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このころ、河内屋、山城屋、久宝寺屋、平野屋、などの屋号が軒を連ねていました。