熊野古道伊勢路、馬越峠は三重県海山町と尾鷲市の境で標高325メートルに位置する。
その開設は定かではないが、この平地のところに「馬越茶屋(間越茶屋)」があった。
茶屋の主、世古平兵衛がこの峠にお祀りした岩船地蔵尊には、享保八年(1723)の銘があり、開業年は更に遡る。茶屋をたたむ明治中頃まで多くの巡礼や旅人をもてなした。
江戸時代の旅人の記録・道中日記に『茶屋にて餅を売る。左の峰に天狗石とて大石あり』『馬越坂上下一里、道へ石を敷き候坂なり。上に茶屋あり。おわし町見える』など、茶屋のことが記されている。
馬越峠から尾鷲市内を望む
馬越峠の桃乙句碑(この句碑は尾鷲の弟子達が俳諧師・可涼園桃乙を偲んで建立したもの)
夜は花の上に音あり山の水 桃乙(とういつ)
桃乙は、近江国の俳人で、嘉永五年に熊野巡遊の旅に出て、尾鷲地方に約一年滞在して地元の人達に発句(俳句)を指導した。翌六年の秋に新宮へ旅立ったが、馬越峠越えで次の句を残している。
『くつはむし道に這い出よ馬古世坂』
嘉永七年は十一月に改元され、「安政元年」になった。前年の六月は、アメリカのペリーが国史として浦賀に来航している。