知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

司馬遼太郎

飛騨古川の町並み

飛騨古川の町屋の多くは、かつて奈良の都の建造物造営に活躍したと伝えられる「飛騨の匠」の技を今に受け継ぐ地元大工の伝統的工法によって建造されています。

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周囲の不調和(そうば崩し)を嫌う住民自らの意志により、古川独特の建築意匠で棟梁のシンボルでもある軒下の彫刻装飾「雲」や出窓、出格子、、土塀などが施され、統一感があり懐かしさを思い起こさせる美しい町並み景観を形成している。

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   杜氏酛摺り像 像製作 中垣克久

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   選・書 司馬遼太郎

   杜氏殿の心澄みゆき魂きはる いのちの酛は生まれ初めけり

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雑賀の舟鉄砲

司馬遼太郎は野に咲くタンポポや菜の花が好きだったことから2月12日の命日を「菜の花忌」という。
東大阪の小坂にある司馬遼太郎記念館は菜の花でいっぱいになる。かなり前になるが「二十一世紀に生きる君たちへ」を買って帰った。

数ある作品のなかに「雑賀の舟鉄砲」がある。

石山合戦は織田内大臣信長が、海内経営の用地として摂津石山の地に着目し、本願寺上人顕如に立ちのきをせまったところから端を発している。

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主人公雑賀市兵衛は門徒のひとりとして石山本願寺に入るが、働けば金穀を貰えると思っていた。合戦によって武功をかせがなければ分家を建て嫁をもらうことがでないのである。

ところが、手柄をたてたとき、「そこもと働き、殊勝である。いよいよ精を出さば、極楽往生は決定であろう」という門主からの感状一枚であった。
死んで極楽往生はいい。しかし、生きて嫁をもらわねば、人として生まれてきた何の甲斐があろうと思う。

武士は手柄をたてれば領地を与えられ石高は増え金銀がふるまわれる。門徒衆は金穀を共せられるわけでもなく、位階をもらえるわけでもなかった。数万の門徒はすべて弾丸糧秣を自弁していた。
「働らかば、極楽浄土に連れまいらすぞ」という本願寺上人のことばであった。

市兵衛は鉄砲の腕をかわれ播磨三木城へ行くことになり、そこから人と人との出会いが始まる。見事なタッチで描く司馬作品は読み出せば引きずり込まれとまらない。



二十一世紀の君たちへ

司馬遼太郎氏は21世紀を生きることはなかった。
氏は、「二十一世紀の君たちへ」で次の言葉を残している。



抜粋

「ただ、さびしく思うことがある。私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。私の人生は持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。君たちは、ちがう。二十一世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。」

「自然こそ不変の価値なのである。人間は、・・・くり返すようだが・・・自然によって生かされてきた。」

「君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立しなければならない。
・・・自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。」

「二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。」

「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」この三つのことばは、もともと一つの根から出ているのである。







問題視されてきたクラスター爆弾や原子爆弾などは人だけでなく自然までも犯す。
企業の利益を追求するあまり公害へと発展し人や自然に大きな影響を与えた歴史があった。
氏は、「人間こそ、いちばんえらい存在だ」「人間は決しておろかではない」と言っている。

日常生活に於いても、上記にある三つのことばを大切にしていかなければならないと切実に感じる。

自己の確立

私は司馬遼太郎氏の小説が好きである。
東大阪の小坂にある記念館で買った、



「21世紀に生きる君たちへ」  司馬遼太郎


「抜粋」

【 いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして”たのもしい君たち”になっていくのである。】
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