名張の城下町の形成は、1585年に伊賀の国主となった筒井定次の家臣であった松倉氏が名張地区の中央台地に名張城を築いた事から始まります。
その後、1636年伊予国今治から来住した藤堂高吉により本格的な城下町建設が行われました。名張城の敷地に領主の名張藤堂家邸を配置し、その下を流れる川を「城下(じょうげ)川」と名付け、外堀の機能を与えています。また、伊予から連れてきた多数の家臣と商人、職人を町に居住させました。

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外敵の侵攻を阻む戦術から、鍵型に屈折した町筋や用水路をつくり、御殿がある高台の斜面には竹藪を張り巡らすなど、小規模ながら城下町(陣屋町)としての形態をもつ町ずくりがなされました。
現在も、藤堂家邸の一部や御殿の正門である太鼓門、城下川、鍵型の町筋や用水路、竹藪や石垣の跡など、往時の面影が残ります。