妹背家は中世以来紀伊八庄司に数えられた名家で、名手荘及び丹生谷を領した土豪であった。

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1619年、徳川頼宣が紀伊の国に藩主として入封に伴って在地の由緒ある者を地士として処遇したときに妹背家は地士頭の扱いを受けた。

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また、1630年からは名手組(十九ヶ村)の大庄屋に任せられ江戸時代末期まで世襲的に務めた。

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妹背家は、名手市場村にあり大和街道に面しており、1622年紀州徳川藩から本陣とされ藩主の参勤交代の宿泊所や御鷹狩り等の休憩所として使用された。

座敷風呂

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記録によれば、1714年の市場村火災の類焼後、主屋は1718年に藩主徳川宗直を迎えるために新築したもので、御殿は延亨三年に増築され、1751年には「こけら葺」を瓦葺に改められている。
主屋の西方南北に江戸時代の土蔵が二棟並んでいる。

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主屋、御殿部、土蔵とも保存がよく、建築年代が明らかであって大和街道沿いにおける本陣の遺構としての価値が高く、屋敷北側の郡役所もこの時代に建設されており、旧名手本陣の規模を知るものとして貴重であると記されている。