赤穂藩上水道は、下津井藩主池田忠継の代官、垂水半左衛門の指揮のもと、慶長19年から元和2年(1614〜1616)の3ヶ年で完成させ、神田上水(東京都)、福山上水(広島県)と並ぶ日本三大上水道の一つです。

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武家井戸

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江戸時代に敷設され昭和初期頃使われていた汲出枡です。

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上水道は、のちの松平時代、浅野時代に形が整えられ、森時代に受け継がれ、さらに明治・大正・昭和と赤穂の町を潤し昭和19年新上水道に引き継がれています。
赤穂の城下町は、熊見川(千種川)河口デルタ上に形成されたため、海水の混入する堀井戸では、飲料水が確保できず、約7キロ上流の千種川から取水し、導水路で運ばれて水が、こし場で配水管に分岐・配水されていました。
赤穂藩上水道は共同井戸だけでなく町人・武士を問わず各戸まで給水されていたのが特色です。