日野椀の歴史は古く、天文二年(1533)蒲生定秀が城下町を作った時、塗師や木地師を住まわせ塗師町堅地町と名をつけた。

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当時は日野椀作りが盛んで町の半分以上の家が椀に関係した仕事をしていたという。久田家も代々日野椀の木地に漆をかける仕事を続け、江戸後期、日野椀の生産が止まった時は看板や重箱、膳等に漆をかける塗師の仕事を続けてきた旧家であった。