釘貫門とは、柱を立てて並べて横に貫を通しただけの簡単な門のことであり、町の入り口に設けた木戸のようなものを示すこともある。現在はこの山門の釘貫門だけが残るが宝暦年間(1751〜63)の木版画には他に3ヶ所矢来(釘貫門)が描かれている。
こお釘貫門は道路を挟んで同型同大の東西2棟からなり、石橋と釘貫門の対向する親柱には、高欄が設けられていた痕跡が残る。双方を繋ぐ構造や開閉の装置を持つものではないが専修寺では釘貫門と称されている。釘貫門は、山内寺院と町屋を隔てる堀の北側に位置し、堀上に架けられた石橋と併せて聖俗の結界をなす装置となるものであり本来の形式を留める現存する貴重な例である。

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この石橋は、山内寺院と町屋を隔てる堀の上に架かる橋である。堀上に円弧状の橋板11枚を並べた石造の反り橋で、橋の南側の橋詰では、高欄は親柱から水路に沿って折れ曲がるが、東側では一部部材を欠き、欠損していてその一部は近年新材となっている。