知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

小諸

小山敬三美術館

この美術館は、小諸出身の小山敬三画伯が1975年美術館を建設し作品と共に小諸市に寄贈したもので画伯の代表作品「浅間山」「城」シリーズ、肖像画をはじめ、水彩、デッサン画などの作品が展示されています。
また、建物の設計は村野藤吾氏によるもので建物、絵画、眺望の集合美をかなえた美術館と云われています。

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藤村と小諸

島崎藤村は明治33年4月初旬、旧師木村熊二の経営する小諸義塾に英語・国語の教師として赴任し、巌本善治の媒酌により、函館の秦冬子と結婚し小諸町馬場裏に新家庭をもった。

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明治33年4月、「旅情」(小諸なる古城のほとり)を雑誌「明星」創刊号に発表
       5月、長女緑が生まれる
明治34年8月、「落梅集」を刊行、 翌年3月、次女孝子生まれる。11月、「旧主人」「藁草履」を、以
          後、「爺」「老嬢」「水彩画家」「椰子の葉陰」等を発表
明治37年4月、三女縫子生まれる。
明治38年4月、小諸義塾を退職し7年間にわたる小諸生活に別れを告げ家族と上京する。
明治39年3月、「破戒」を自主出版する。

粂屋(旧脇本陣)

江戸時代、北国街道を通った大名行列が小諸に宿泊する時、お殿様は本陣に泊まり、家老など上級の家臣がこの脇本陣に泊まりました。

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脇本陣は本陣の次に大きな建物で、左側には式台の玄関があり、その奥には座敷があります。また、二階の手すりや看板を下げる「まねき屋根」など、江戸時代旅籠の姿を伝えています。

北国街道 ほんまち町屋館

江戸時代前期、この場所には街道で運ばれる荷物を中継ぎする問屋場があり、小諸宿の中心でした。この建物は大正時代に建てられた味噌・醤油醸造元の清水屋の店舗で、昔は主屋の奥に醸造や保存のための蔵がいくつもありました。

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2000年に小諸市の施設にする時に、大正時代の主屋と中庭はそのまま活かし、奥の蔵は新しいデザインで建て替え、主屋脇にも修景門をつけました。
主屋は、いかにも大正時代らしい大空間で、表に面したガラス戸、格子、腰壁もこの時代にはモダンなデザインでした。土間には荷物を運ぶためのトロッコの線路がそのまま残され、清水屋が使った醸造の道具や仕込み樽も展示され味噌醤油醸造元の歴史を知ることができます。

萬屋骨董店(旧小諸銀行)

この建物は明治時代に小諸銀行として建てられたため、同じ時代の他の建物と比べると入り口が狭く設計されています。
小諸銀行は、明治14年に小諸の豪商が開いた銀行で、当時大変に勢いのあった商都小諸を象徴する建物のひとつです。

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この建物は「蔵づくり」であり、火事にあっても燃えないように建物全体が土壁で塗られています。また、建物の両側には壁が飛び出していますが、これは「うだつ」と呼ばれるものです。火がまわりから燃え移るのを防ぐ役目をしています。ここのうだつは1階から立ち上げているので「袖うだつ」と呼ばれるものです。

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店の2階からは、広い中庭や奥の蔵が見られます。珍しい骨董とともに伝統的な建物も楽しめ、窓には、第二次世界大戦の時に供出で切られた鉄格子の跡を見ることができます。

大塚味噌醤油店(小諸)

昔ながらの味噌・醤油・味噌漬けを造って売っている老舗で右の主屋は江戸後期、左の蔵は明治時代の建物です。

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店の横に蔵がくっついているのを「袖蔵」といい、この店の袖蔵には、黒い漆喰で鏝による立派な看板が造られています。(鏝絵という)
昔の左官屋にとっては、このような鏝の技が腕の見せどころでした。主屋は二階が高いので間延びした感じにならないよう「出格子」にして、その上に庇ををつけてデザインを整えています。主屋の奥には、昔のままの座敷、中庭、蔵が残っています。

旧つたや旅館(北国街道 小諸)

「つたや」が旅籠を始めたのは江戸時代初めの1657年で、屋号は「つたや七左衛門」でした。

ギャラリーつたや

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この建物は大正時代に建てられたもので、大正の雰囲気を伝えるモダンなデザインです。「つたや旅館」は江戸時代から昭和の初めまで商人宿として賑わった宿です。俳人の高濱虚子が滞在したこともあり、各部屋には小説家や書家の書き残した書などが飾られています。

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山崎屋長兵衛商店(小諸)

大正モダンの代表的な洋風建築で木造モルタル造りです。荒町銀座周辺は大正当時ハイカラな建物が次々と建てられ、銀座会が小諸のなかでも特におしゃれで華やかな街だったことが想像できます。

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明治38年の「小諸商人繁盛記」によると、山崎屋長兵衛商店は、かんざし、珊瑚、くし、香水、化粧品、煙管などのお洒落小物やアクセサリーを売る店で、お嬢さんから芸者さんまで、また結婚式の時などこの店に買いに来たと書かれています。

小山家(小諸)

この建物は、400年以上前に建てられたもので、東日本に現存する最も古い民家のひとつです。江戸時代に小諸与良町の庄屋をつとめた家で、当時のままの立派な玄関、庭に面した座敷があります。

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小諸のお殿様が時々訪れていたので、警戒が厳重な造りとなっており、玄関には中からだけ相手が見えるのぞき戸があり、いざという時に殿様が身を隠すための隠し扉や、警備の人が隠れている部屋があります。江戸時代後期に一部改築されていますが、中央広間や大床のある部屋は建築当初のままです。
三角の切妻板葺き屋根、農家に似た部屋割り、門は薬医門で、江戸時代初期の有力な町人の屋敷の姿をよく残しています。道路側に堂々とした切妻屋根を見せているのも町屋の建築としては珍しく貴重な建物です。

酢久商店/小山家

小諸の、北国街道沿いにある酢久商店は「山吹味噌」のブランドで全国的に有名な味噌屋で、この建物の奥に大きな工場があります。北国街道に面した土蔵とその奥のご自宅は幕末の建物で、入り口に掲げられている「御味噌」という看板は、たいへん凝った彫刻が施されたものです。

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小山家の屋号は「酢久」もしくは「やま九」と呼ばれ、江戸中期から酢・味噌醤油の醸造を始め、その後関東をはじめ各地から仕入れた畳表、かつお節、茶、塩などを長野県内に卸す問屋業としても成功しました。
小諸藩の御用商人として藩にお金を貸して武士に近い身分を与えられた旧家です。
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