戦国時代のはじめの1487年に、大井伊賀守光忠により小諸の町にはじめてつくられた鍋蓋城の跡です。その後、小諸が武田氏の支配下になった時に、この鍋蓋城を取り囲むように街道がつくられ、街道沿いに周りの村から人々を移して(「村寄せ」という)城下町の原形ができました。同時に小諸城の原形が懐古園の場所に造られました。

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江戸時代には、この場所は小諸藩の城代家老の屋敷として使われました。城代家老とは、一番位の高い家臣です。お殿様が江戸に居るときには、その代わりに藩を仕切る役目です。石垣で固められた屋敷がまえは、それ自体が小諸城を守る「城郭」の役を果たしていました。
また、この屋敷を囲むように北国街道が作られており、屋敷の石垣は町人地と武家地を隔てる役目もしていました。