現在の掛川城より東にあった掛川古城は明応6年(1497)〜文亀元年(1501)、駿河の守護大名今川氏が遠江支配の拠点として重臣朝比奈泰に築かせたといわれています。

その後、遠江における今川氏勢力拡大に伴い掛川古城では手狭となり現在の地に永正9年(1512)〜同10年(1513)頃、掛川城が築かれました。

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桶狭間の戦(1560)で今川義元が織田信長によって倒されると、永禄11年(1568)義元の子氏真は武田氏に駿河をを追われ掛川城に立て籠もりました。
翌年、徳川家康は掛川城を攻め長期にわたる攻防の末、和睦により開城させました。

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天正18年(1590)全国平定を達成した豊臣秀吉は、徳川家康を関東へ移すと家康旧領地には秀吉配下の大名を配置し、掛川城には山内一豊が入りました。

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一豊は多くの戦乱により傷んだ城の改築や城下の整備を行うとともに、この時初めて天守閣を造りました。

霧噴き井戸
永禄12年(1569)徳川家康は今川氏真の立て籠もる掛川城を攻めた折りに井戸から立ち込めた霧が城をつつみ家康軍の攻撃から城を守ったという伝説があります。

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山内対馬守一豊  五万石  入城年 天正18年(1590) 在城年数10年 関ヶ原役の恩賞により
            土佐高知へ転封