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鐘櫓
本丸西側に位置し、はじめは鐘を吊り太鼓を懸け、時の鐘と半時の太鼓をうっていたといわれる。石見国(島根県西部)大森銀山の応急監督を命ぜられ、人数をくりだす必要があったためという。
鐘は儒者山室如斉、菅茶山の銘を刻んだものもあったが、現在は無名である。

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備考
元和5年(1619)徳川時代の臣、水野勝成が備後10万石の領主となり、ここ福山に城を築いてから福山の城下町としての歴史は始まり、その後、水野氏5代、代わって松平氏1代、阿部氏10代と廃藩置県に至るまで福山城が藩治の中心となりました。
明治6年廃城となり、天守閣、伏見櫓、筋鉄櫓、御湯殿を除いて、ほとんど取り壊されました。
昭和20年の戦災により天守閣と御湯殿を焼失しました。幸い焼失を免れた伏見櫓、筋鉄御門は昔日の姿を止め国の重要文化財に指定され、城地は国の史跡として保存されている。