知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

山辺の道

山辺の道

山辺の道は、三輪から奈良へと通じる上古の道。大和平野には南北に走る上・中・下ッ道の官道があり、それぞれ7世紀の初め頃に造られた。
上ッ道のさらに東にあって、三輪山から北へ連なる山裾を縫うように伸びる起伏の多い道が山辺の道である。

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現在、その道をはっきりと跡づけることはでないが、歌垣で有名な海柘榴市(つばいち)から三輪、景行、崇神陵を経て、石上から北上する道と考えられている。

山辺之道(壱)

          夕さらずかはず鳴くなる三輪川の
                   清き瀬の音を聞かくし良しも   作者未詳

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山辺の道

山辺の道は大和の古代道路のひとつで、奈良盆地の東南にある三輪山のふもとから東北部の春日山の麓まで、盆地の東縁、山々の裾を縫うように南北に通ずる古道で歴史上の記録では日本最古の道として知られています。

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海石榴市(つばいち)
七世紀代、この周辺は「海石榴市」と呼ばれ、大規模な「市」があったとされていました。此処では山辺の道をはじめとするいくつかの古道が交わり、大和川水運の港もありました。そのため、様々な物産が集まり、物々交換が盛んに行われていたようです。また、多くの老若男女で賑わい、「歌垣」などの行事が催されました。
このように交易の中心であった「海石榴市」は、都「藤原京」の玄関でもありました。遣隋使として有名な小野妹子が隋の使者裴世清と下客十二人を伴って帰国したとき、朝廷では、この地で錺馬七五疋を仕立て盛大に迎えたそうです。
古代の「海石榴市」は隋や唐の文化の花咲く、国際色豊かな町だったのです。

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平安時代になると「海石榴市」は「伊勢詣で」「長谷詣で」の宿場町として有名になります。例えば紫式部が著した『源氏物語』の玉葛の巻で登場します。その他にも清少納言、藤原道綱の母など多くの文人が訪れたそうです。

歩くこと

何時の日だったか週休二日制が始まった、
私は出向の身だったので来年からは土曜日は休めるだろうと思いリュックと靴やガイドブックを購入した。

しかし、私には週休はやってこなかった。
しかたなく買った靴をはいて近隣を歩いてみた。

C_20

こんな所にお寺があったのか、おもわぬ発見だった。
人の生活圏はある程度決まっているし通る道もほとんど決まっている。
半径2キロも離れると知らないことが多い。

ガイドブックにあった日本最古の道「山辺の道」を歩いたのは週休が始まってから何年たってからだろうか。

子供の遠足の時のような気持ちだった。歩くことは楽しい。

のんびりと

山辺の道は桜井から歩く人が多いが私は天理から桜井を歩くことにした。
天理駅前の商店街を歩いていると雨が降ってきた、商店街で帽子と手袋を購入する。
天理教本部を過ぎた頃には雨は止んだ、通り雨だった。

山辺の道













ガイドブックが見あたらず地図の心配をしたが駅にコースマップが置かれているし、途中の神社にも地図は置かれている。
さらに、いたる所に道しるべがある。
途中、また雨にあった。畑中の小屋でしばしの休憩をする。
天気は不安定であったが散策者は結構多い。

想像していた地道や石畳はあるが集落は生活道路となっているのでコンクリートやアスファルト道が多い。

今度は奈良〜天理間を歩いてみたい。

山辺の道

あれはたしか12年前の12月だったと記憶している、多少の間違いがあっても何の影響も及ぼさない。

私はリュックと靴と本を購入した。
土曜日は歩きたいと思ったからだ。

はじめに、日本最古の道といわれる山辺の道を歩いてみたかった。
しかし、土曜日は休むことができずに時は過ぎた。

明日は天気がよければ行ってみよう。
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