ずいぶん昔の話になるがラジオのトーク番組にでたことがある。
番組の最後に好きな歌をリクエストできるのだが、私は、なぜかもの悲しく又懐かしい「赤い靴」を選んだ。

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私は、この野口雨情の童謡「赤い靴」の女の子が実在した人物だったことは知らなかった。

女の子の名前は岩崎きみ、明治三十五年七月に日本平麓の旧不二見村で生まれ、事情あって三才の時にアメリカ人宣教師のチャールズ・ヒュエット夫妻にもらわれた。

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母親かよは、自分の娘きみは宣教師夫妻と一緒にアメリカで、元気に暮らしているものと信じきっていたが、
きみちゃんはアメリカへ渡っていなかったことがわかった、

宣教師が任務を終えて帰国しようとした時、きみちゃんは不幸にも当時不治の病といわれていた結核におかされ身体が衰弱していて長旅ができず、やむなく東京のクリスチャン系の孤児院へ預けられ、そこで薬石の効なく幸せ薄い九才の生涯を閉じていた。
それは明治の終わり頃の四十四年九月十五日の夜、死因は結核性腹膜炎だった。

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私が思うに当時の赤い靴は大変貴重で高価なものであったに違いない。
赤い靴を手にしたきみちゃんの喜んでいる顔が目に浮かぶ。

私も小学校に行くときに黒いゴムの靴を買ってもらった。夏はいいのだが、冬は靴下などあろうはずもなく履いたときにすごく冷たかったのを覚えている。
喜んだのはもちろんだった。