知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

巽櫓

明石城跡

-

巽櫓

-

横山蜃楼句碑
   「鵙(もず)の声屈するところなかりけり」

横山蜃楼は明石の人で、松瀬青々の弟子となり、30歳で倦鳥派の大家となり大正14年月刊俳句誌「漁火」を創刊、門下誌友は全国に及ぶ盛大さという。

-

坤櫓(ひつじさるやぐら)

-

本丸跡
明石城は、初めから天守閣がなく本丸四隅に三層の隅櫓で固めていた。東北の艮櫓(うしとらやぐら)は本丸の鬼門にあたる櫓として重要であった。

-

艮櫓跡
本丸の北東隅に三重の櫓が建っていた。この櫓は五間(9.1メートル)四方の広さで高さは六間一尺九寸(11.4メートル)であったという。

-

松平直明公遺愛「お茶の水」
八代城主直明公在城中(1682〜1701)日常この水を使ってお茶を点てられた。明石城内で良い水の出る井戸として親しまれれてきたという。

-

-

巽櫓(伊予松山城)

太鼓門
本丸大手の正門と位置づけられている脇戸付きの櫓門で巽櫓や太鼓櫓とともに防衛線を構築しており、隠門や筒井門とその続櫓による第1の防衛線に続く第2の防衛線となっています。

残念ながら1945年の戦災で焼失したため、門は欅、階上は栂で復元されました。

-

巽櫓
本丸の南東に位置する二重櫓で、一重目南面に千鳥破風が付けられています。太鼓門と一体となって防衛線を構築しています。
巽櫓西塀は長さ7.82メートルで6ヵ所の狭間が設けられています。これも1945年の戦災で焼失したため復元されました。

-

太鼓櫓
本丸の西南隅に配置された矩折(かねおり)の二重櫓です。この櫓は巽櫓・太鼓門・同西塀と同じ高さ(約7メートル)の石垣の上に築造されており、これらは一連の防衛線となっています。
築城時に建てられたものと考えられ、明治時代に石落や突揚戸などが改変されたが同じく戦災で焼失しました。

-
記事検索
おきてがみ
web拍手
Archives
メール
  • ライブドアブログ