龍神温泉から日高川沿いに下り、小又川沿いに左折れして進むと天誅組志士の幽閉の倉がある。

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水郡(にごり)長雄ら一行八名が、この倉に幽閉されたのはわずか二日間でしたが、紀州藩の駐屯隊長吉本任をはじめ、部落の人々の厚いもてなしに感激した長雄は、自らの血でこの倉の柱に辞世の歌を書き遺しました。
     皇国のためにぞつくすまごころは
           神やしるらん 知る人ぞ知る  河州水郡長雄
  
(ここに書かれている辞世の歌は、柱から切り取られて保管されている血書を参考にして再現されている)

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江戸時代末期の文久三年(1863)尊皇倒幕を志した天誅組は、前侍従中山忠光卿を擁立し、孝明天皇大和行幸の先駆けをしようと江戸幕府の五條代官所を襲ったが敗北した。その一員で水郡長雄を党首とする八名は、再挙を図るため十津川から紀州領の小又川まで逃れてきたが、里人から警備の堅固さを告げられ脱出の困難さを知り、文久三年九月二十二日この地の警備隊に自首した。彼らが京都に護送されるまでの間幽閉されたのが当地の百姓喜助の倉である。(この天誅組を幽閉した倉は、昭和39年の大雨で倒壊したのち、復元された)

龍神温泉発紀伊田辺駅へは16時15分発、17時33分着となっている。バスに乗るにはバス停から乗るものと思っていたらこの辺りは手を挙げれば止まってくれる。連休初日、駅から徒歩10分以内は満室だった。