幟立つ弁慶松の
             右ひだり     舎羅

榎並舎羅は元禄時代の大阪の俳人で、松尾芭蕉が大阪の宿舎で病の床についた時、ねんごろに介抱したことは、芭蕉の臨終のようすを書いた「花屋日記」に出ている。

句は男の子の出産を祝う五月の節句の幟が弁慶松の右にも左にも威勢よくはためいている情景を詠んだもので、弁慶出生の地だけに、たくましい男の子が育っているにちがいない、という思いがこめられている。

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文治五年、武蔵坊弁慶は奥州衣川で義経を守り壮烈な立往生をとげた。これを聞いた故郷田辺の人々は湛増屋敷の一隅に松を植えてその生涯を偲んだ。