知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

徳川頼宣

和歌山城跡

1585年、羽柴(豊臣)秀吉が紀州を平定し、弟の秀長に命じて虎伏山に創建したのが和歌山城です。
1600年、関ヶ原の戦いの後に浅野幸長が城主となり、城普請を継続しました。1619年、徳川家康の子の頼宣が55万5000石の藩主として入国し城郭の大改修を行います。

岡口門
当初は南東部のこの門を正門である大手門としました。

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連立式天守を持つ和歌山城は御三家の紀州徳川家にふさわしい居城となりました。
城跡全体は史跡に岡口門は重要文化財に指定されています。

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松坂城跡

松坂城は蒲生氏郷が天正十六年(1588)四五百森に築城した平山城である。

蒲生氏郷が陸奥黒川へ移封後、天正19年に服部一忠、文禄4年に古田重勝と城主が変わり、元和五年(1619)に徳川頼宣が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降、明治になるまで勢洲領(松坂・田丸・白子等)十八万石を統轄する城代が置かれてきた。

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徳川陣屋跡

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中御門跡

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太鼓櫓跡

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金ノ間櫓跡

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本丸跡
中央の金網は何だろうと覗いてみたら井戸だった。

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北に大手、南を搦手とし、本丸・二ノ丸・三の丸・隠居丸・きたい丸からなり、本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。

三層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられる。
二ノ丸には寛政六年(1794)に着工された御殿(徳川陣屋)があった。
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