五百井戸とか弘法井戸とか呼ばれ五百井(いおい)村の名前の由来になっています。黒い鉄の蓋をとって中を覗くと立派な石組の井戸で深さが5メートル程あります。
この井戸の南側を古代以来の竜田・奈良街道が通り、どんな干ばつでも枯れない井戸として街道をゆく旅人の喉を潤してきました。

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一方、この井戸は在原業平が河内高安の恋人、河内姫のもとを尋ねる際、水鏡にしたので「業平の姿見井戸」との伝承もあり、「ここは並松(なんまつ)/業平さまが/姿井戸とは/このことか」の歌も作られています。