この像は、日下部太郎とウイリアム・エリオット・グリフォスの師友関係を象徴したもので日下部太郎(1845〜1870)は慶応3年(1867)福井藩で初めて海外留学生としてアメリカに渡りニューブランズウイック市のラトガース大学に入学し学問の研鑽に励んだ太郎は広い分野で優秀な成績をおさめたが、卒業を目前にして病気の為26歳若さで客死した。

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彼の死は大学関係者や一般の市民に惜しまれ、大学は太郎に卒業生と同等の資格を与えると共に、同校の優等生で組織されるファイ・ベータ・カッパー協会の会員として彼を推薦し、その印として金の鍵を贈った。
ウイリアム・エリオット・グリフォス(1843〜1928)は大学の先輩として太郎を指導していたが、その勉学態度を見て日本人の節度、勤勉さに心を動かされ、日本に興味をもつようになった。
明治4年グリフォスは福井藩からの招聘に応じ藩校「名新館」における理化学の教師として来福し多くの若者を指導した。国内情勢の変化のため、グリフォスはわずか10ヶ月で福井を離れたが、その後も『皇国』という本の出版をはじめ数多くの講演や執筆活動を行いアメリカにおける日本紹介と理解に貢献した。