知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

日本の道100撰

塩見縄手

初代出雲藩主堀尾吉晴が1607年から1611年にかけて松江城築城の際に城地の亀田山と北側の赤山の中間にあった宇賀山を掘削して、内堀と平行する道路および侍屋敷を造成した。

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この道路が塩見縄手と呼ばれる。縄手とは縄のように一筋にのびた道路のことをいい、二百石から六百石程度の中級武士の屋敷が並んでいた。

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この武家屋敷に一時住んでいた塩見小兵衛がのちに異例の栄進をしたため、それをたたえて塩見縄手と呼ぶようになった。

松江市伝統美観保存地区に指定され、昭和62年には建設省「日本の道100撰」に選ばれる。

富田林寺内町

 町並み

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大阪府で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。1986年8月、中心部を南北に縦断する城之門筋が建設省の日本の道100選に選定されている。

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富田林寺内町は、戦国時代末期の1560年、西本願寺派興正寺第14世・証秀が、石川西側の河岸段丘の荒芝地を百貫文で購入し、周辺4ヶ村(中野・新堂・毛人谷・山中田)の「八人衆」の協力で芝地の開発、御堂(興正寺別院)の建立、畑・屋敷・町割等を行い、富田林と改めたことに始まるという。

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江戸時代は公儀御料となり酒造業で栄えた。
幕末期には19名の大組衆(杉山家、仲村家、奥谷家などの有力町人衆)により自治が行われていた。
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