この民家は桜井市下に所在していたが萩原家より寄贈を受け移築復原したものである。
萩原家は位牌木札によると元禄十六年(1703)宝永五年(1708)等の年号がみられ、その頃に建築されたと考えられます。
移築前の外観は草葺、切妻屋根の両端に桟瓦葺の落屋根をつけ周囲に庇を巡らしていた。

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平面の間取りは六間からなり、西側には懸造りの座敷と、北側には二階建ての離れ座敷が接続していたが、これらは後世に増改築されたことが明らかとなり建築当初の姿に復原した。
復原平面は下手三間を土間とし正面側に「うまや」背面側に「かまや」を設け居室部は正面側に「みせのま」「ざしき」背面側は「だいどころ」「なんど」の四間取りで「ざしき」には仏壇、とこ、脇床も設けている。

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この民家は葺降しの屋根、突止め溝の使用、土間、居室境の閉鎖等古式な手法を伝える貴重な遺構である。