泉鏡花は、明治6年に石川県金沢市に生まれ、北陸英和学校を中退した。明治23年、尾崎紅葉の門に入ろうとして上京したが紅葉を訪問する勇気がなく方々を彷徨した。明治24年に鎌倉に来て、妙長寺に二ヶ月間滞在し、その後、10月に紅葉を訪ね入門を許された。以後創作に励み小説家として認められ数々の名作を残した。
明治31年に小説「みだれ橋」を発表し、後に「星あかり」と改題した。

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『星あかり』
もとより何故といふ理はないので、墓石の倒れたのを引摺寄せて、二ッばかり重ねて臺にした。其の上に乗って、雨戸の引合わせの上の方をガタガタ動かして見たが開きさうにもない。雨戸の中は相州西鎌倉亂橋の妙長寺といふ。法華宗の寺の本堂に隣つた八畳の、横に長い置床の附いた座敷で、向つて左手に、葛籠、革鞄などを置いた際に、山科といふ醫学生が、四六の借蚊帳を釣って寝ているのである。(中略)
門を出ると右左、二畝ばかり慰みに植ゑた青田があって、向う正面の畦中に、琴弾松といふのがある。一昨日の晩宵の口に、その松のうらおもてに、ちらちら灯が見えたのを、海濱の別荘で花火を焚くのだといひ、否、狐火だともいった(後略)