江戸時代の小田原城は、本丸を堀が囲んでいて、絵図によると堀は二の丸堀とつながる水堀となっていました。

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発掘調査によって本丸東堀の位置が確認され最も幅があるところでは20メートル以上もあることがわかりました。この堀を渡るために架けられていたのが常盤木橋で水鳥の池は堀の名残といえます。