知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

東海道

東海道(草津)

東海道は、中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中を加えた五街道の中でも江戸と京を結ぶ江戸時代随一の幹線路であった。

(写真右 東海道 中山道はトンネルの上の砂川(旧草津川)に上がり川を渡っていた)

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その里程は、江戸日本橋から相模小田原宿を経由、箱根の関・大井川を越え、遠州灘沿いに西進し、伊勢桑名宿を経て鈴鹿峠から近江に至り、土山・水口・石部・草津の各宿を経由して勢田橋を渡り大津宿を経て京三条大橋に至るもので東海道五十三次と称された。
草津では小柿から大路井に入ると、すぐ砂川(旧草津川)を渡り、11町53間半(約1.3キロ)の草津宿を経て矢倉・野路・南笠を通過し勢田に至った。

      『明日より夏休みと致します』

枚方宿

徳川幕府は、17世紀初頭から全国的に街道整備・宿駅設置を進め、東海道の延長として伏見・淀・枚方・守口の4宿を設けました。
枚方宿は東見附から西見附まで797間(約1.5キロ)、問屋場・本陣のほか旅籠や商家など多くの町屋が軒を連ねて宿場町として賑わいを見せました。

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紀伊徳川家は、藩主吉宗が八代将軍に就いた後、六代藩主宗直の寛保元年(1741)の参勤交代から、大坂・京に将軍家の権威を示すために東海道を通ることが多くなり、参府・帰国とも枚方宿に宿泊することが常となりました。

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枚方は淀川水運の中継港で米や河内木綿、菜種など物資の集散地であったため、在郷町としても繁栄し人と物が行き交う水陸交通の要衝として重要な役割を果たしていました。

土山宿本陣跡

土山宿は江戸日本橋から百六里三十二町、京都三条大橋まで十五里十七町余りの位置にある。
本陣は1634年、三代将軍徳川家光が上洛の際設けられた。当時の大名、旗本、公家、勅使等が宿泊したもので宿帳から多くの諸大名が宿泊したことを知ることができるとある。

土山宿本陣跡

本陣は明治維新で大名の保護を失い1870年宿駅制度の廃止に伴いなくなった。

 土山宿

土山宿
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