江戸時代の関所は江戸防衛を目的として設置され、特に姫街道の要衝であった気賀は早くから関所を設けて入鉄砲と出女の監視を中心に通行人や荷物の取調べを行った。

 冠木門(気賀関所)

気賀関所


 本番所

気賀関所の関守は明治2年の関所廃止まで近藤家が行った、番頭2名・平番4〜5名が交代で取調にあたったとある。
幕府は江戸へ武器が大量に持ち込まれることを怖れ、参勤交代の大名の鉄砲携帯に数的な制限を加え入鉄砲の関所通過を厳しく調べた。
また、人質として住まわせていた大名の妻子などが国元へ逃げ帰ることを防ぐために関所で取り締まった。

気賀関所


 女改め

気賀関所


手形の発行者や押してある印鑑、記載事項を調べた。関所役人の母親など姥があたった。

その後、箱根にも関所が設けられ、気賀関所、箱根関所、今切関所が東海道三大関所と呼ばれた。