知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

東福寺

開山堂(東福寺)

東福寺主要伽藍の北には洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷があり、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋と名付けられた三本の橋が架かる。通天橋は、本堂から通じる廊下がそのまま屋根付きの橋となったもので、この付近は特に紅葉の名所として知られる。通天橋を渡って右に階段を登ると開山堂(常楽庵)がある。

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静寂な普門院前から市松模様の枯山水庭園や池泉式庭園を鑑賞するも良し。

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東司

「東司(とうす)」(東福寺)
東司とは便所の建物を云い、俗に百間便所(百雪隠)と称し、禅宗叢林の便所では日本最古最大で、現存する唯一の遺構である。
当時の排出物は貴重な堆肥肥料であり京野菜には欠かせない存在であった。京都の公家、武家、庶民の台所を野菜で潤していた。
叢林としても現金収入の大きな糧となっていたと云われる。

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禅僧は用便も修行であり東司に行くにも厳しい作法が定められていた。

八相の庭

東福寺方丈 八相の庭

 恩賜門

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 南庭

八相の庭とは、四庭に配された「蓬莱」「方丈」「瀛洲」「壺梁」「五山」「井田市松」「北斗七星」の八つを、「八相成道(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)に因んで命名されたもの。

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 東庭

雲文様地割に円柱の石で北斗七星を構成して北斗の庭と呼ばれる。
北斗七星に見立てた石は東司(重要文化財)の柱石の余石を利用したもので後方には天ノ川を表した生垣が配され、夜空が足元に広がるかのような小宇宙を造りだしている。

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 五山

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 西庭

サツキの刈り込みと砂地とをくず石で方形に区切り、大きく市松模様に図案化し井の字に等分した古代中国の田制「井田」に因み「井田市松」と呼ばれる。

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 北庭

ウマスギゴケの緑との対比も色鮮やかな市松模様の敷石は、もと恩賜門に使われていたもの、サツキの丸刈りとの調和の妙も印象深く、秋には背景の紅葉の赤色と唐楓の黄金色とが織りなす色彩感あふれる空間となる。

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雪舟庭園

東福寺芬陀院 雪舟庭園

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芬陀院南庭は画聖雪舟等楊師(1420〜1506)の築造とされています。
雪舟が少年時代を過ごした備中(岡山県)の宝福寺は東福寺の末寺で芬陀院との縁は深く、雪舟が本山に参った時には芬陀院に起居していました。

庭園様式は、禅院式枯山水庭園で、作庭の時代は寛正・応仁(1460〜68)頃と認められており、京都で最古の枯山水庭とされています。

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雪舟の少年時代、涙で鼠を描いたという逸話はよく知られていますが、関白の兼良公はそれを思い出し、雪舟に亀を描くことを所望されました。
ある日、雪舟は庭にでて砂を整え、石を動かし始め、次第に亀の形になり立派な石組みの亀ができました。
雪舟は筆ではなく石組みで亀を描いたのです。

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 東庭と図南亭

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三門と勅使門(東福寺)

京都東山南端に位置する東福寺の門は、月下門(月華門)、二王門(仁王門)、三門、六波羅門、南門、中門、北門、日下門、勅使門等があります。

勅使門(開かずの門)
天皇の勅使をお迎えするときに使います。三門の前に池があり、勅使専用の橋が架かっています。

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三門
五間三戸、二階二重門、入母屋造、本瓦葺(柱間五間で入口が三つの門を五間三戸という)

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東福寺三門は、元応元年の大火によって失われた後、応永年間(1394年〜1428年)に室町幕府四代将軍、足利義持によって再建されました。

日下門(東福寺)

臥雲橋を渡って南進すると左手に日下門があり境内に入ります。

日下門

門内正面に仏殿が見えます。

日下門

通天橋(東福寺)

ここから眺める渓谷(洗玉澗)の新緑と紅葉は絶景、

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北門(東福寺)

 
9月24日の京都は暑い日だった。
京阪電車の東福寺駅を降りて帽子を被ったが暫くして頭が燃えるように熱くなった。

 北門

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東山区と伏見区の境にあって、正式名称を慧日山東福禅寺と称し臨済宗東福寺大本山の寺院である。


 仁王門
 北門を入るとすぐ左に仁王門がある、三間一戸の八脚門、切妻造、本瓦葺で仁王像は安置されていな
 い。
 慶長2年(1597)の建立で、もと万寿寺にあったものをこの地に移築したとある。

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京阪沿線「とっておきの紅葉名所」にも案内されている、「渓谷・洗玉澗の上にかかる通天橋から眺める一面の色彩は圧巻、眼下に広がる赤い雲海のような絶景に目も心も奪われます」と案内されている。
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