知音の旅人
誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である
松尾芭蕉
4月
3
松尾芭蕉
−木のもとに汁も鱠も左久良哉−
松尾芭蕉
元禄三年三月二日伊賀の小川風麦亭において、
風麦、土芳たちと歌仙を開いた時の八吟四十句の発句である。
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8月
30
松尾芭蕉
月ぞしるへこなたへ入せ旅の宿
季語は月で秋、意味は、「この明るい月の光が道案内です。どうぞこちらえおいでになってください、この旅の宿へ」
松尾芭蕉が「宗房」と号していたときの作品で、松江重頼が編集した「佐夜中山集」に入集した二句の一句で、二十歳の作品です。
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#松江重頼
7月
11
野ざらし紀行
手にとらば 消えん泪ぞ熱き 秋の霜 松尾芭蕉
「母の遺髪を手にとると、わが熱い涙のしずくで、それは秋の霜のように消え去るだろう」
この句の前書きに「長月の初故郷に帰りて、北堂の萱草も霜枯果て、今は跡だになし。何ごとも昔に替わりて、はらからの鬢白く眉皺寄て、只命有てとのみ云て言葉はなきに、(後略)」とある。
長月は陰暦九月。北堂は母の居室、萱草(わすれぐさ)はその庭に植えられたもの。「霜枯果て・・・」は、芭蕉の母がすでに天和三年(1683)に死去したことをさす。はらからは、兄弟のこと、とある。
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6月
27
「笈の小文」松尾芭蕉
草臥(くたびれ)て宿かる比や藤の花 はせ越(芭蕉)
この句は松尾芭蕉が貞享五年(1688)四月十一日(旧暦)「笈の小文」の旅で八木町の宿に一泊した時のものである。
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5月
29
綿弓塚(芭蕉旧跡)
竹内街道
推古天皇21年(613)に、難波と飛鳥京の間におかれた街道は、飛鳥時代にわが国最初の官道として栄え、大陸からの文物を大和飛鳥にもたらしました。
中・近世には、伊勢、長谷参詣が隆盛し、茶屋、旅籠が峠を行く人々の旅情を慰めました。竹内街道の風景には多くの文化人達が筆をとり、貞享5年に松尾芭蕉が河内に向かい、幕末嘉永6年に吉田松陰が竹内峠を経て儒者を訪ね、文久3年には天誅組の中山忠光等7名が志果たせぬままここに逃走しています。
この句碑は、「野ざらし紀行」に「綿弓や琵琶に慰む竹の奥」とあり、この時の好句を記念するため、芭蕉の歿後115年を経た、文化6年10月に建てられたものです。
この地は、芭蕉の門人千里の郷里で、芭蕉は貞享元年秋千里の案内でこの地に来り、数日間竹の内興善庵に滞在している。さらに元禄元年春再びこの地を訪れ、孝女伊麻に会って、その親を思う美しい心にこの上もなく感激し、「よろづのたつときも、伊麻を見るまでのことにこそあなれ」と友人に手紙を送っている。
俳聖芭蕉は貞享元年秋、元禄元年春その他数回当地を訪れたとおもわれ、数々の句文を残しています。
「里人は 稲に歌よむ 都かな」 「楽しさや 青田に涼む 水の音」 「世に匂ひ 梅花一枝の みそさざい」等、
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12月
27
落柿舎(らくししゃ)
落柿舎は元禄の俳人向井去来の遺跡であって、去来は芭蕉の門人にて師翁の言葉に、「洛陽に去来ありて、鎮西に俳諧奉行」と称たたえられた。去来が落柿舎を営んだのは、 貞享四年(1687)の以前で、芭蕉が初めて訪れたのは元禄二年(1689)、 併て三度来庵す。元禄四年には四月十八日から五月四日迄滞留まで、その間に『嵯峨日記』を誌した。
落柿舎の入口には常に蓑と笠がかけてある。これは本来庵主の在庵と不在を示すもので、ここに蓑笠がかけてあったら在庵で、なければ外出中というしるしであるが、今は落柿舎の象徴として常にある。
五月雨や 色紙へぎたる 壁の跡
松尾芭蕉
柿主や 梢はちかき あらし山
向井去来
去来の『落柿舎記』には、庭に柿の木四十本あり、その柿の実が一夜のうちに殆ほとんど落ちつくした。それが落柿舎の名の由来と書かれている。都からきた商人が一貫文を出して、柿の実を買う約束をして帰る。その夜去来が寝ていると「ころころと屋根はしる音、ひしひしと庭につぶるる声、よすがら落ちもやまず」翌朝さきの商人きて「梢つくづくと打眺め、我むかふ髪の頃より白髪生るまで、 この事を業とし侍はべれど、かくばかり落ぬる柿を見ず、きのふの値かへしてくれたびてんやとわぶ、いと便なければ、ゆるしやりぬ、この者のかへりに、友どちの許もとへ消息送るとて、みづから落柿舎の去来と書きはじめけり」と、
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9月
1
向井去来
熊野古道小辺路、柳本橋のたもと果無登山道の入り口に、松尾芭蕉の弟子である向井去来の句碑がありました。
『 つづくりも はてなし坂や 五月雨 』
向井去来
備考 向井去来(慶安4年−宝永元年 1651〜1704)江戸前期の俳人、芭蕉門下十哲の1人といわれた。
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3月
16
幻住庵記
松尾芭蕉は奥の細道の翌年、1690年4月6日から7月23日の約4ヶ月間幻住庵に隠棲し「幻住庵記」を著した。
現在の建物は1991年復元されたもの。
所在地; 滋賀県大津市国分2−5
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