北の庄城主柴田勝家が信長の居城安土城参勤のため栃の木峠を改修して以来、人馬の往来は頻繁となり越前南端の重要な関門として板取宿を置いた。

板取宿は北国街道の玄関口として又、近江と越前を結ぶ重要な宿として発達した。
江戸時代になると結城秀康が入国以来関所を設け旅人を取り締まった。後に板取番所として藩士が駐在した。

1

2

幕末頃の板取は戸数五十三戸の内、三軒の問屋、七件の旅籠、三件の茶屋のほか継立従事の家が立ち並んで賑わったという。

3



大きな地図で見る