松山城は慶長7年(1602)に加藤嘉明によって築かれた城郭で、本丸をはじめとして二ノ丸、三ノ丸、西ノ丸、東郭、北郭によって形成されており、三ノ丸は藩の主要な施設と中上級武士の屋敷が配されていました。

 三ノ丸跡

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黒門口登城道は三ノ丸から二ノ丸、本丸へと続く大手登城道で三ノ丸からの入口となる黒門周辺は、特に堅固な構えで、わずか100メートル程の間に黒門、栂門、槻門と五度の屈曲が連続し、門には番所が設けられていました。
また、黒門と栂門の間には腰掛が設けられていました。

黒門跡

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備考 腰掛は藩士が登城する際にお供の者を待たせていた建物
    黒門には古文書によると、門の屋根には「矢切」という「忍びがえし」が備えられ、門の左右の石垣
    上には石落や狭間などが備えられた渡塀が続いていたという。