正面の堀川東岸(三之丸地内)の城壁は、桑名城城壁の一部で、川口町揖斐川に面する川口樋門から南大手橋に至る延長約500メートルが現存し、市の文化財に指定されている。
積石の状態は乱積で、野面はぎ、打込はぎの二方法で、また刻印を刻んだ積石も多く見かけられる。片町に面した所には出隅、入隅があった。各所に堀川に向かって狭い道路が設けられているのは、明治以降、廃城になってから便宜上付けられたものであろう。
戦前までは南大手橋から京橋裏、それに三之丸立教小学校横まで堀川は続いていたが終戦直後、またたくまに埋め立てられた。
この城壁には老松が並木を作り、枝は堀へ垂れ、川水は満々と美しく、行き交う荷船で賑わった。
積石の状態は乱積で、野面はぎ、打込はぎの二方法で、また刻印を刻んだ積石も多く見かけられる。片町に面した所には出隅、入隅があった。各所に堀川に向かって狭い道路が設けられているのは、明治以降、廃城になってから便宜上付けられたものであろう。
戦前までは南大手橋から京橋裏、それに三之丸立教小学校横まで堀川は続いていたが終戦直後、またたくまに埋め立てられた。
この城壁には老松が並木を作り、枝は堀へ垂れ、川水は満々と美しく、行き交う荷船で賑わった。